Asian championship Road Race 2016

1月23日に行われたアジア選手権ロードレース・女子エリートの結果は4位でした。
チームの目標であった、優勝によるオリンピック出場枠獲得も果たせず、忸怩たる思いで帰宅致しました。

オリンピック枠獲得の使命を果たせなかった点につきまして、まずは皆様に深くお詫び申し上げます。

以下はレースレポートです。

12時レーススタート。9周回。
11:40にサインを終え、スタート地点に並ぶ。

レース前のミーティングでは、韓国チームに注意するよう指示があった。
また、事前に決められたいくつかの作戦以外は、
レース中に自分達で考えて走るように、エースである萩原選手の指示を聞くようにとのこと。

まず私に任された仕事は、韓国の動きを警戒し、アタックには反応して逃がさないようにすること。

韓国以外の国が動いた場合も、韓国の動きに注意しつつ対応する。

従って、私の位置取りは韓国選手の動きに対応して決まるということになる。
韓国選手に動きのない時は、集団内で様子を伺い、要所要所で前に上がる。

時刻通りにスタート。1周目が始まる。
まずはコース状況、風向き等を見極めるため、
また他のチームの様子を見るために、周囲を観察しつつ走る。

私以外の3選手は常に3人で前方に固まっている。

ミーティングでは4人常に一緒に居るという指示はなかった。
もしも4人で同じ場所にいて落車に巻き込まると全滅となりかねないので、
私は3人が見える範囲で3人とは離れた場所で走る。

しかし、この位置関係のままだと、萩原選手からの指示が私には伝わって来ない。

これではまずいと考えて坂口選手に新しい指示はあるか確認しに一度上がるが、変更は無いようなので再び後方へ。

 

海沿いを走るプロトン

 

さて、序盤における韓国への牽制役は私だった。

韓国の選手のパンチ力はさほど強烈なものではないので、私は3列目あたり、韓国選手の番手の位置で韓国選手の動きを確認しつつ走る。韓国が動けばカザフスタンあたりも追うし、アタックする選手は前にいるチームメイトが集団を抑えた状態で後ろから来るので、この位置取りが最適と考えた。ここなら空気抵抗も小さい。

ところが、金子選手が集団先頭で、他国の選手の動きに反応しているのが見えたので、「私が行きます」と金子選手に伝える。

だが、返答は無し。

その後も金子選手や坂口選手が他国の動きに私より先に反応するという状態で序盤は展開する。

さまざまな国が動き、集団は伸び縮みを繰り返すが、決定的な逃げは決まらない気配。

一度、何名かの逃げが決まりそうになり、そこに坂口選手も入っていたが、韓国選手も2人入ってしまった。
私がジャンプした方がいいのか、
このまま逃げを容認した方がいいのか。
萩原選手に指示を仰ぐと、「行って」とのことだったので、他国の選手を連れて行かないように気をつけて一気にアタックする。
そして、キャッチアップ。

だが、やがて逃げは吸収された。

その後、萩原選手から坂口選手に

「韓国が1人で行った時は行かなくていい」

という指示が出たことを坂口選手から聞いたので、以降は自分も韓国の1人アタックには反応しなくて良いのだろうと判断。

埋もれない場所にいるように注意しながら、レースを進める。

レースは中盤に差し掛かり、ペースダウン。


6周目の上り。この周回で日本チームが隊列を組んでペースを上げることに決まっていたが、

コースサイドにいる代表チームのスタッフから、上りでのペースアップは7周目に変更されたと伝えられる。
ペースを上げる順序は坂口選手、私、金子選手、萩原選手の順。

そして7周目の上り。

この時点で坂口選手から、

「私はもういっぱいなので替わりに行ってください」

と言われていたので、上りの手前で金子選手に

「私が行けばいいですね?」

と確認したところ、金子選手は

「私が行くので、いいです。」

との返事。

金子選手のペースアップに反応したのは6人前後。
メイン集団との間に数秒差がついたので、私はメイン集団で待機して、背後からの他国のアタックに反応できるように備える。


金子選手のアタック後のメイン集団

この7周目の上りでメイン集団はさらに小さくなり、下りで金子選手のグループを吸収。
その後の平坦部分でまた集団のペースが一気に落ち、上り区間で脱落した選手も数名追いついて来る。

8周目に突入。

レース前のミーティングでは、この周回に金子選手がアシストして萩原選手がアタックをすると決まっていたので、その後方支援のため、いつでも動けるように備える。

しかし金子選手が上がってこない。

他国がペースを作り始めた。

そのまま上りのピークで萩原選手がアタック。

韓国のナ選手が反応して萩原選手を追い、メイン集団との間に数秒の差が開く。

萩原選手のグループに私と中国のプ選手がついていけそうだったので、上りのピークにいた代表チームスタッフから「前の2人に追いつけ!」と指示される。

そこで、プ選手の後ろにつき、脚を使わせながら下りで萩原選手に合流。

萩原選手に「どう動けばいいですか?」と指示を仰ぐが、ここでは返事無し。
なので、この4人の逃げ切りを確実にすることが、まず自分がしなければいけないことだと考える。

平坦部分でペースダウンしてしまうとまた後ろに追いつかれるので、ナ選手とプ選手に英語で

“30sec rotation”と提案し、まずは4人の逃げを確定させた。

その後、萩原選手もローテーションに入ってくる。

セオリーなら私だけがローテーションに入り、エースは後方待機のはずなので、意思疎通を図るため、再び「どう動けばいいですか」と質問をする。しかし返事はない。

そこで自分なりに考えて

「上りでペースを作っていくので、最後アタックして振り切ってください」

と声をかけるが、やはり返事はなし。

レースは最終周へ。

ともかく提案した通り、最終周回の上りを先頭固定で引いてペースを作る。

最終周回へ

登りピークの手前で韓国のナ選手が後ろから出てきたので、萩原選手が反応。

中国のプ選手は、反応したものの、追いつけない。

私も、萩原選手とナ選手のアタックには付けなかったが、

また4人でまとまる可能性もあるので、そのまま上りきる。
ナ選手、萩原選手、プ選手、私の順で下りに入り、下っている間に、また4人にまとまる。


残り7km。

海沿いの道に出る直前で再び萩原選手に指示を仰いだところ、「アタックして」とのことだったので、

平坦に入ったところで、タイミングを見計らってアタック。しかし決まらない。

何度かアタックをしたところで、萩原選手から「もう動くな」と指示が出る。

再びローテーションが周り始めると、

「ローテーションを回して」との指示が出たので、それに従う。

そのままラスト1kmを切り、ゴールスプリントに向けて、牽制が始まる。

萩原選手からの新しい指示は無い。

直近の指示は「もう動くな」だったが、こうなったら自分が

おとりアタックをした方が良いのだろうか。

どうすればいいのかわからないまま、ゴールスプリントに突入してしまう。

先頭はナ選手で、その番手に萩原選手。

3番手にプ選手が居たので、私はプ選手が外から一気に捲る動きを牽制して、その直後に付ける。

ゴール前500mぐらいから先行した韓国のナ選手が萩原選手を引き離して独走し、萩原選手はプ選手にも差されて3位に後退する。私は自力でプ選手を追うが脚は残っておらず、結果的に萩原選手と並んでスプリントする形になってしまい、本能でハンドルを投げて(自転車レース用語で、ゴールライン手前で前輪を突き出す動きのことです)しまった。

あのハンドル投げは勝ちたいという感情ではないです。 感情はコントロールできていました。

ただ、動く身体をコントロールできませんでした。

深く反省しています。

萩原選手にはお詫び致します。

また、優勝したナ選手の力は素晴らしかったとも思います。ナ選手に心よりの敬意を表します。

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